6人の作家によるショートショートの扉

第一回 スイミングコーチ 江坂 遊

 ひゃっほう。
 ぼくは最高の気分で校門を出た。今日、先週の算数のテストが返ってきて、それがなんと100点だったのだ。100点満点!
 自分で言うのもアレだけど、ぼくはけっこう成績はいいほうで、ほかの科目だったら100点をとるのはそんなにめずらしくはない。ただ算数だけは話は別だ。70点とれれば満足。80点をこえたらお祭り気分、といったところ。
 6年生になる前の春休み、どうしてもほしいテレビゲームがあって、父さんにお願いしたら、「算数のテストで100点とったら買ってあげよう」と言われた。
「算数? 国語や社会じゃダメ?」
「算数で100点だ」
 父さんはきびしい表情で首を横にふる。
 まあ、仕方ないね。父さんは、ぼくが算数で100点をとるのがむずかしいと知っていて、そんな条件を出したんだから。
 それからぼくは算数の勉強に力を入れるようになった。成績は上がって、コンスタントに80点はとれるようになったけど、なかなか100点はとれない。できたつもりでいても、どこかでミスしちゃうんだよね。98点のときはくやしかったなあ。
 そんなこんなで1年近くが過ぎ去った。もうすぐ小学校を卒業し、中学生になる。中学では、算数ではなく数学になるそうだ。先週のテストが、ぼくが算数で100点をとる最後のチャンスだったんだよね。
 ほんと、返ってきた答案用紙に「100」と書かれているのを見たときは、涙が出るほどうれしかった。

 友だちと別れ、ぼくはバス停に足をむけた。3ヶ月ほど前までは学校の近くに住んでいて、みんなと集団下校していたんだけど、引っこして、いまはバスで通学している。転校も考えた。でも、あと少しで卒業ということで、バスで通うことにしたんだ。バス停の数にして5つ。歩けない距離(きょり)でもないんだけどね。
 バスはまあまあ混雑していた。座席は満杯(まんぱい)。10人近い人が立っている。
 そのとき、いすに座っていたおばあさんがぼくを見て、
「どうぞ」
 と席を立った。え? 突然(とつぜん)のことに、ぼくはびっくりした。お年寄りに席をゆずられて、座れるわけがない。
「いや、いいです」
 と断ったのだが、それだけでは済まなかった。
 次の停留所で若者が乗ってくると、ひとりの老人が立ちあがり、その若者に席をゆずったのだ。若者は遠慮することもなく、素直に席に座る。どう考えてもおかしいのに、だれも気にするようすはない。
 ふと気づけば、立っている人は全員がお年寄りだった。優先席に目をやれば、そこには若者が座っている。
 ぼくは先ほどのおばあさんに話しかけた。
「どうしてお年寄りが立って、若い人たちが座っているんですか」
「おかしなことをいうのね。立っているのは若い人で、座っているのはほとんどお年寄りじゃないの」
「え?」
「わたしは82歳。あなたは?」
「12歳ですけど?」
「82と12、どっちが大きい?」
「82」
 ぼくが答えると、おばあさんはあきれたような表情をした。
「12でしょう。こんなこともわからないなんて、ちゃんとお勉強してる? わたしのほうがずっと若いから、あなたに席をゆずろうとしたのよ」
 そういわれ、ぼくは何もいえなかった。
 82と12。82が大きいに決まっているではないか。なのに、12のほうが大きいから、ぼくのことを年寄りだという。自分のほうが若いから席をゆずろうとしたという。
 首をかしげていると、優先席に座っている若者ふたりの会話が聞こえてきた。
「部長のやつ、腹立つよな。50の若造のくせに、20歳のおれに意見するんだぜ」
「最近の若いやつらは礼儀(れいぎ)を知らんからな」
 50の若造? あのお兄ちゃんたち、何いってるの?
 わけがわからなくなって、きょときょとと周囲を見まわすと、料金箱の横にある両替機(りょうがえき)が目にはいった。――「この両替機は1円玉と5円玉には対応しておりません。10円玉か50円玉をご用意ください」と書かれている。
 え? 1万円札と5千円札に対応していない両替機は知っているけど、1円玉と5円玉? だいたい、1円玉をどう両替するというの? 10円や50円より1円のほうが価値がある? つまり、10や50より1のほうが大きいということ?
 なんだかわからないけれど、ぼくは不思議な世界にまよいこんでしまったみたいだ。数字の大小が逆になっている世界。
 はっと、ランドセルのなかの答案用紙に思い当たった。100点とってよろこんでたけど、100点って、もしかしたら……。ほめられてゲームを買ってもらえるどころか……。
 数字だけではなく、気分も大逆転していた。

【作者より】
「小学生のためのショートショート講座」第15回「異質なものを組みあわせてみよう(後編)」であげた組みあわせのなかから、「ユーウツな100点満点」を作品にしてみました。

高井信

1957年名古屋市生まれ。1979年、SF専門誌「奇想天外」にショートショート2編が掲載され、作家デビュー。ショートショート関連の書誌等の発表や書籍の収集もおこなっている。作品に『うるさい宇宙船』『夢中の人生』『ショートショートの世界』などがある。