6人の作家によるショートショートの扉

第一回 スイミングコーチ 江坂 遊

「あらあら、吉野(よしの)さん。お元気?」
「まあまあ、水田(みずた)さん、こんにちは。おかげさまで元気にしております」
 いつもの水田さんにつかまって、おばあちゃん動かなくなっちゃったよ。しゃべり出したら、きりがないんだよなぁ。だいたい、何のことだよ、「おかげさまで」って。意味わかんないこと言ってるとしか思えない。
「そうですか、それは何より。この年になると、ふつうにできるのがいちばんですものね」
 水田さんもいつもと同じこと言うし。
 おばあちゃんに「いいもの買ってあげるから、荷物持ち、手伝ってね」って言われて、買いものについてきたんだけど、やめときゃよかったなあ。遊ぶ時間がなくなっちゃうよ。
 立ち話をやめそうにない二人のそばを離(はな)れて、ぼくはあたりを、少しぶらつくことにした。すぐ近くに小さな公園があるので、そちらへむかう。
 おや?
 ぼくの前の道路を、公園へむかって何かが動いてゆく。うすっぺらいもの。地面をはっているみたい……。
 黒い紙でできた人形?
 手と足が生えているように見える。
 もしかしたら……。
 ぼくは、浩くんが宿題のことで電話をかけてきたときに言ってたことを思い出した。浩くんは、きのう、塾(じゅく)から帰るとちゅう、ぼくの家の近くで、道路を黒っぽいものが動いているのを見たというのだ。
「まるで、影が地面を動いているみたいでさ。でも、影になるようなものなんて、何もないんだ」
 浩くんはそう言った。そんなバカなことがあるもんかって言いかえしたんだけど、もしかしたら、あそこを行くのが、その「影」みたいなものかもしれない。
 ちょっと気持ち悪い。でも、本当にそうなのか、よく見てみたい。
 影みたいなものは、公園に入った。ぼくも後につづく。植えこみにかくれながら、ついてゆくと、影は広場で止まった。
 よく見ると、やっぱり影みたいだ。小さめの人の影が地面にあるようにしか見えない。
 でも影って、浩くんも言ってたけど、何かがお日さまとかに照らされてできるものだ。何の影なのか、よくたしかめなくっちゃ。
 しっかり見るために、ぼくは植えこみのかげから出た。広場に足をふみだす。西にかたむきはじめたお日さまが、ぼくの背中を照らしている。
 あれっ?!
 足もとを見て、ぼくはびっくりした。
 影(かげ)がないのだ。
 お日さまは後ろから射しているから、ぼくの前の地面には影ができるはず。それなのに、何もない!
 ぼくはそのまま目を前のほうへ動かしていった。広場の真ん中には「影」がある。そして、その形は、なんとなくぼくに似ているように見える。
 あの影って、もしかしたら、ぼくの――。
 そう思って影を見つめた。
 そのときだ。なぜか突然(とつぜん)、ぼくは空を見あげていたのだ。目の位置はとても低い。まるで、地面にねているみたい。そのまま見まわしてみると、足もとのむこう、広場のはしっこに男の子が立っている。あれは――。
 ぼくだ!
 それで、ぼくは気づいたのだ。ぼくは、いま、影になって自分の身体を見ている。
 そう気づいた、つぎの瞬間(しゅんかん)、ぼくはまた広場のすみから自分の影を見つめていた。
 あっという間に、ぼくは影になり、またもとの身体にもどったのだ!
 それからぼくは、影になったり、自分の身体にもどったりした。そして、わかったんだ。影は、きのう、ぼくが海斗(かいと)くんたちと遊んでいるとき、ぼくの身体から離(はな)れてひとりで家に帰ったのだ。
 お母さんには「日が暮れる前に帰りなさいよ」って言われてた。でも、ぼくは遊ぶのが楽しくて、帰りたくなかった。帰らなくっちゃという気持ちと、ずっと遊びたいという気持ちの両方が、ぼくの中にあった。日が暮れたら、影は消えてしまう。それで困ってしまい、影は家に帰ることにして、ぼくの身体は海斗くんたちと遊びつづけたのだ。
 影(かげ)をとりもどさなくっちゃ。
 ぼくは思った。影をなくしたままでいるなんて耐(た)えられない。きょうは学校が休みで、ずっと家の中にいたから、影のことには気づかなかった。ほかの人にバレることもなくてよかった。けれど、このまま影と離ればなれでは困ってしまう。
 前進する。影に少し近づいた。
 すると、ぼくはまた影になって、自分の身体を見あげていた。一歩ずつ、ぼくの身体が近づいてくる。あの足が影のぼくをふんだら、影と身体はまた一つになれる。
 そう思ったとき、影のぼくは逃(に)げるように、地面を移動していた。
 影のぼくは思った。
 ずっと身体にしばりつけられているのはいやだ。身体が動くとおりにしか動けないのはつまらない。
 そうかと思うと、ぼくはまた自分の身体にもどって、影を追いかけていた。
 逃げるな! ぼくは影を取りもどすんだ!
 いやだ! つかまってたまるか!
 変な追いかけっこだった。どちらも自分なのに、片方は逃げ、片方は追いかける。なかなかつかまらない。
 ぼくは影(かげ)を追って、かけだした。
 もう、自分が影なのだか身体なのだか、よくわからない。地面をするするはっているかと思えば、ちゃんと立って、逃(に)げる自分を追いかけている。あっちになったり、こっちになったり。そうやってどんどん走った。
 公園の出口にきた。入ってきたのとは反対側の出入り口だ。外はすぐに道路だ。
 影が一瞬(いっしゅん)だけ早く、道路に出た。そして、気づいたのだ。右からすごいスピードで自転車が走ってくる。
 このままだと轢(ひ)かれてしまう。
 ダメだ!
 強い衝撃(しょうげき)を感じて、ぼくは立ち止まった。
 身体が止まったのか、影が止まったのか、よくわからない。とにかく、道路と公園の境で、身体も影も、凍(こお)りついてしまったのだ。
 ビュイーンと、風を巻きおこして自転車が走りすぎた。
 ひえ~、あぶなかった。
 あのまま道路へ出ていたら、ぼくの身体も自転車と激突(げきとつ)していたにちがいない。そして、はねとばされて、もしかしたら、死んでいたかも。
 どれだけのあいだ、ボーッとしていのだろう。びっくりして動けなかった。
 やっと気を取りなおして地面を見たら、足もとから影がのびていた。さっきの瞬間、影はさっと後ろにもどり、身体といっしょになったのだ。
 ぼくが動く。影(かげ)も動く。もう離れない。
 ぼくはホッとした。でも、残念な気持ちもした。たぶん、影がそう思わせたのだろう。
 また公園を通りぬけ、おばあちゃんと別れたところまで引きかえした。
 おばあちゃんは、まだ水田さんと話している。そして、ぼくがもどったのにようやく気づいた。
「あら、伸(しん)ちゃん、どっか行ってたの?」
「ううん」
 ぼくは口の中でゴニョゴニョと答えた。
「顔色が変ね。何かあったの?」
「ううん」また、ゴニョゴニョ。「なんにも」
「なら、いいけど。本当にだいじょうぶ?」
「うん……お影さまでね」
 ぼくは足元の影を見おろして、答えた。影のおかげで助かったんだから、粗末(そまつ)にはできないなと思いながら。

森下一仁

1951年高知県生まれ。1979年、SF専門誌「SFマガジン」に短編を発表してデピュー。創作、評論を手がける。ショーショート作品集に『夢の咲く街』『平成ゲマン語辞典』、ジュヴナイルSFに『「希望」という名の船にのって』などがある